前仆后继
前仆后继 [qián pū hòu jì]
前の者が倒れれば後の者が引き継ぐ。前の者の屍を乗り越えて進む。
戦闘などで犠牲を恐れず前進すること。新しい者が次々と現れてくること。
用例
战场上的士兵总是前仆后继的冲向战场的第一线。
戦場の兵士はいつも屍を乗り越えては第一線に突き進む。
即使我再警惕,也抵挡不住那前仆后继的人群。
たとえ私が警告しても、あの犠牲を恐れない人々の群れを押し止めることはできない。
演艺圈的明星数不胜数前仆后继,市场需要明星,可是演员比明星更珍贵。
芸能界のスターは数知れず消えては現れ、市場はスターを求めるが、しかし役者はスターより貴重だ。
睁一只眼,闭一只眼
睁一只眼,闭一只眼 [zhēng yī zhī yǎn,bì yī zhī yǎn]
片目をつぶる。見て見ぬふりをする。見逃す。
「睁 zhēng」は眼を「開く」ということ。「只」は眼を数える量詞。
悪事などを見て見ぬふりして見逃す、規則を緩めるような時に使われる。日本語では片目ではなく「眼をつぶる」とも訳せそう。
用例
有些低素质的人在出站扶梯上就开始抽烟了,运营方也就是睁一只眼闭一只眼。
一部のマナーの悪い人が駅から出るエスカレーターで煙草を吸い始め、駅の職員も見て見ぬふりである。
有些事情不要太计较,睁一只眼,闭一只眼,就会过去的。
あまりこだわらず、片目をつぶってやりすごした方がいいこともある。
作战
作战 [zuò zhàn]
戦う。戦闘する。
日本の漢字で書けば「作戦」だが、日本語の「作戦」とは意味が違い、動詞として戦う、戦闘すること自体を指すので注意。日本語の「作戦」は「行动计划」などと訳さなければ意味が変わってしまう。
用例
和敌人作战,必须知彼知己,才能百战百胜。
敵と戦うには、相手を知り己を知ってこそ勝利を重ねることができる。
战争爆发后,如何保障前线作战部队的武器装备?
戦争が始まったら、いかにして前線の戦闘部隊に武器と装備を保障するのか?
26岁时,他随中国人民志愿军入朝作战。
26歳の時、彼は中国人民志願軍に入って朝鮮に赴き戦った。
朝鮮戦争は中国では「抗美援朝」(米国に抵抗し朝鮮を支援する)戦争として語られることが多く、今年は70周年ということでさまざまな行事が行われている。今日は大々的な記念式典が全国に中継されていた。ネット記事などでも関連情報が増え、「作战」のような戦争関係の語をいつもよりよく見かける。
得意忘形
得意忘形 [dé yì wàng xíng]
得意になりすぎる。いい気になる。天狗になる。(貶す意を含む)
出典
『晋書』阮籍伝の「当其得意、忽忘形骸」が出典として挙げられることが多いが、これは「竹林七賢」の一人であり隠士として知られる阮籍が世俗にとらわれず奔放に振る舞う様子を述べたもの。酒や音楽に浸って心が満足すると肉体の存在すら忘れるかのようだった、というような意味で、貶すのではなくむしろ称賛の文脈で使われている。その点、否定的な意味をもつ現在の用法とは違っている。
用例
他才赚了一点钱就开始得意忘形了。
彼はちょっと金を儲けたらすぐいい気になりだした。
有的人,一受表扬就得意忘形,一挨批评就垂头丧气。
中には、ちょっと褒められれば有頂天になり、ちょっと叱られれば意気消沈する人もいる。
他那副得意忘形,摇头摆尾的样子,真令人恶心。
彼のいい気になって浮かれている様子は全く見ていて吐き気がする。
飘
飘 [piāo]
「風」が文字に入っているように、風に吹かれる、風に舞う、漂うといった意味が基本。
検索してみて知ったのだが、小説『風と共に去りぬ』(原題 Gone with the wind)の中文訳の題は『飘』なのか。この一文字で訳せてしまうというのがすごいが、風に舞うという意味がこういう「放浪」「漂泊」のような意味に転じるのはまあわかりやすい。「飄飄何所似、天地一沙鷗」(『旅夜書懐』)という杜甫の有名な詩句もこの意味。
しかし、そういう連想ではわかりにくい意味もこの文字にはある。
一つは「发飘」などの形で使われるもので、「发飘」は辞書によれば「感觉轻飘飘的」とのこと。脚や体から力が抜けてふらふらするような感じを言うらしい。「走路发飘」「身体发飘」のような用例が見つかる。
もう一つは、得意になりすぎる、思い上がる、いい気になる、というような意味。これはもとは東北方言だそうだが、最近ネットを通じて全国的に広まり、流行語の一つになっているとのこと。そのきっかけになったのは2016年に発表された『做人不要太飘』というラップの曲だったそうだ。検索すると次のような説明が見つかる。
この意味では、「飘」一字で形容詞となる他に、「飘飘然」といった熟語も使われているようだ。
「飘」が「いい気になる」という意味になるのはちょっとすぐには繋がらないが、そう言えば日本語でも得意になりすぎることを「舞い上がる」と言ったりする。同じような発想なのかもしれない。
害喜
害喜 [hài xǐ]
つわり。
「孕吐 yùn tù」ともいう。医学的な話題などでは「孕吐」の方が多く使われているように見える。「害喜」の方がおそらく伝統的、日常的な呼び方。
なぜ「喜」の字が?と思うかもしれないが、この「喜」は妊娠という意味。「喜」は名詞としては文字通り喜ばしいことを表し、伝統社会で喜ばしいことといえば妊娠が代表的だったため、「喜」が妊娠の婉曲表現になった。「有喜」といえば妊娠することを指す。これは日本語にも「おめでた」という瓜二つの例があるので、それを想起すれば理解しやすいはず。
用例
众所周知,很多准妈妈在孕早期都会有妊娠反应,也就是俗称的“害喜”。
周知のように、ママになる準備中の多くの人が初期に妊娠反応を経験します。それが俗に言う「つわり」です。
妻子突然害喜,不能吃饭了。
妻が突然つわりになって、食事ができなくなった。
到目前为止,除了偶尔出现害喜现象之外,一切都平顺。
今のところ、時につわりの症状が出る他はすべて順調です。
鱼肉百姓
鱼肉百姓 [yú ròu bǎi xìng]
民衆を痛めつけ支配すること。
「鱼肉」は刀で捌かれ料理されるものということで、「百姓」をそのように扱うということ。
「鱼肉乡里」ともいう。
出典
『後漢書』長仲統伝に引用されている長仲統の著作「損益篇」に「魚肉百姓、以盈其欲」(民衆を魚や肉のように処理して、その欲望を満たす)とある。漢代になってから各地に王族が封ぜられ、恣意的な支配を行ったことを批判する文脈でのもの。
用例
这些鱼肉百姓的资本家还说是为了业主、为了行业,还要脸吗?
これら民衆の生き血を絞る資本家たちはまだ経営者のためだの業界のためだの言っているが恥を知らないのか。
最近鱼肉百姓的贪官层出不穷,希望有关职能部门查明真相。
最近住民を食い物にする汚職官僚が続出している。関係部門には真相を究明してほしい。
国家一万种为百姓的政策老百姓感受不到。地方政府鱼肉百姓蛮不讲理,老百姓生不如死。
国家は民衆のための政策を山ほど出してくるが民衆には実感できない。地方政府は民衆を好き勝手に扱い理屈など通らず、民衆は死んだほうがましな生活をしている。
蘸
蘸 [zhàn]
読み方が「zhàn」だというのがまず注意点。「jiao」などと読みたくなるがなぜかそうではない。
辞書によれば、
在液体、粉末或糊状的东西里沾一下就拿出来:蘸水钢笔。蘸糖吃。
液体、粉末、糊状のものなどの中にちょっとつけて取り出すこと。
多くは食べ物関係で、たれにさっとつけて食べる時の「つける」の意味で使われている。また「蘸料」や「蘸酱」といえばその「たれ」のこと。
用例
饺子你们喜欢吃汤饺还是蘸饺呢?
餃子はスープに入れて食べるのとたれをつけて食べるのとどちらが好きですか?
黄金豆腐,外酥里嫩,裹满蘸汁,停不了口!
黄金豆腐、外はさっくり中はやわらか、タレがたっぷりつまって、食べ出したら止まらない!
↑黄金豆腐は日本の揚げ出し豆腐のようなものですね。
作为宁波人,早餐一般是豆浆配油条(蘸一蘸吃),又或者是白粥咸菜、馒头、包子之类。
寧波人としては、朝食は一般に豆漿と油条(ちょっとつけて食べる)、あるいは白粥に漬物、饅頭、包子などである。