「中国語」とか、「漢文」とか

日々の学習、ときどき雑談

簡体字、繁体字、日本の新字体

「中国語」を学んだことのある人なら知っているように、現在使われている漢字は地域によって字体が違うことがある。おおまかに言えば、中華人民共和国の中では簡体字が、香港、マカオ、台湾などと海外の華人コミュニティでは繁体字が多く使われている。さらに日本は戦後に独自の漢字簡略化を行ったため、繁体字とも簡体字とも違う新字体を持つようになっている。
それで、こういうところで「中国語」を書いたり引用したりする時、どの字体を使うべきか迷うのだ。私は初めから簡体字で「中国語」を習ってきたので、「中国語」の話題について書く時は簡体字が使いやすい。しかし一方で、繁体字を使う台湾などの「中国語」を無視したり軽視したりするつもりは全くない。それぞれの歴史と習慣が反映されたもので、どちらが正しいとかより良いというものではないのだ。
どちらの字体を使うかということには、どの国家や政府に帰属意識や親近感を持つか、あるいは持たないかということにも微妙に関わっている。これについても、私はどこかに強く肩入れするような立場にはないし、そう思われるのも心外だ。
もし読み手が誰かはっきりしていれば、読み手に合わせて選ぶのが最善だろうと思う。相手が簡体字を使っていれば簡体字繁体字を使っていれば繁体字。「中国語」のネイティブとやりとりする時、たいていどちらの字体でも通じるはずなのだが、どちらでもいいなら相手が使い慣れている方を選ぶのが自然な配慮だろう。最近の入力ツールでは簡単に切り換えもできる。
しかし問題は、こういう日本語のブログのように、どういう人が読みに来るのか予測できない場合。私としては、同じように「中国語」を学んでいる人が疑問を検索して来てくれたりすることを予想している。しかしその人はどの字体で検索するのだろう。簡体字だろうか、繁体字だろうか、日本の漢字だろうか。
また、私は「漢文」と日本で呼ばれているような中国古典の話題についても時々触れていくつもりでいる。古典はどの字体で引用すべきだろうか。
「中国語」の話題の一環として触れるなら、簡体字で統一する方がすっきりするようにも思う。しかし古典が書かれた時代にはまだ簡体字は存在せず、日本でも古典は旧字体で引用したりする場合があることを考えると、繁体字を使うことにも一つの合理性がある。簡体字新字体ができる以前の漢字文化圏の伝統を尊重するという立場だ。ちなみに繁体字と日本の旧字体はほぼ同じものである。
しかしまた別の問題もある。「漢文」の話題に触れれば、現代の「中国語」は読めなくても古典に関心があって読みに来る人がいるかもしれない。そういう人はおそらく日本の漢字、主に新字体を使って検索するだろう。どうしたものか。
考えれば考えるほどわからなくなるのだが、そこで暫定的な結論として、その時々の気分に任せる、こだわりすぎない、ということにした。記事によって字体が違ったり混在していたりするかもしれないが、当面それでいいということにする。いろいろやっているうちにより良い方法が見つかるかもしれない。読みに来られた方も、そこはあまりこだわらずに見ていただけるとありがたい。

ところで、「中国語」と括弧に入れているのは、中国は極めて多様な言語や民族を含む地域であって、「中国語」と日本で呼ばれる言語はその中の一つ、共通語として定められたものにすぎない、ということを忘れたくないため。私が最初に「中国語」を習った言語学者の先生が、「そもそも『中国語』というものがあるのかどうか……」と困った顔をしていたのを覚えている。同じく「汉语」とされる言語でも、中国各地で違いは大きく、互いに通じないこともよくあるという。さらに中国には全く異なる系統の言語をもつ民族も多数暮らしている。そのことを考えれば、「中国語」というのはたしかにあまりにも粗雑な呼び方なのだ。そしてそれは中国に限らず、日本でもどこでも、国家の境界と言語の境界は実は一致していない、ということをあらためて思い出させてくれる。