一分钱
一分钱 [ yī fēn qián ]
一分は一元の百分の一、現在中国で流通する貨幣の最小単位。
一元=十角
一角=十分
口語では、「元」は「块」、「角」は「毛」となるが、「分」は「分」のままらしい。
一分硬貨
現在では全体に物価が上がり、日常で「分」を使う機会はほとんどなくなっているようだ。たしかに値札で「角」以下を見ることはまずないし、時には「角」も切り捨てでお釣りをくれたりする。
しかし言語習慣の中では、最も細かいお金、わずかなお金の代名詞として「分」はまだ生きている。全くお金がない、という時の慣用表現は「一分钱都没有」。日本語で、すでに「文」や「銭」という単位は使われていないのに、「一文無し」「一銭も持たない」といった表現が残っているのと同じ現象だろう。
「一分钱」を検索して、そういう題名の有名な歌があることを知った。幼児向けの歌で、歌詞は次のようなもの。
我在马路边捡到一分钱
把它交到警察叔叔手里边
叔叔拿着钱
对我把头点
我高兴地说了声
叔叔,再见
ianで韻を踏んでますね。
まあ内容はストレートな子どもへの教訓で面白くもないのだけれど。一応訳すと、
道端で一分のお金を拾って
警察のおじさんに渡しました
おじさんはお金を受け取って
うんうんとうなずいてくれました
わたしはうれしくなって
おじさん、またね、と言いました
You Tubeにも動画があります
https://m.youtube.com/watch?v=AkZyR6m6Uyg
この歌が作られたのは「雷鋒に学べ」運動が始まって間もない1963年。作詞作曲は児童歌曲の作者として有名な潘振声で、寧夏の学校で教えていた時、子どもたちが拾ったお金をまじめに届けてくれたことから着想したという。今に至るまで、中国では子どもの歌として広く知られているそうだ。
ところで、去年の記事でこんなのが。
最近は一分なんて使っていない、子どもたちは見たこともないだろう、という配慮からか、「一分钱」を「一元钱」に書き換えた楽譜があったらしいのですね。それが「歌詞もインフレだ」などとネットで話題になり、それに対して、古典的名作の味わいが損なわれる、このような機械的改変はいかがなものか、と説教しているのがこの人民日報の記事。
まあ確かに機械的な処理だと私も思うが、そのくらい「一分」は日常生活から遠くなっていること、この数十年で中国の金銭価値に大きな変化があったことを象徴する話ではある。