「中国語」とか、「漢文」とか

日々の学習、ときどき雑談

数见不鲜

数见不鲜 [ shuò jiàn bù xiān ]

しばしば目にして珍しくないこと。見慣れていること。
「数」は shù ではなく shuò と読むので注意。shuò と読むと、しばしば、何度も、という意味になる。

類義語
屡见不鲜
司空见惯

用例
这样的例子在服务行业数见不鲜。(こういう例はサービス業界では珍しくもない。)
每天发生斗殴事件数见不鲜,因此进医院的人数不胜数。(毎日殴り合いの事件が起きるのは珍しくもなく、それで病院に担ぎこまれる人は数え切れない。)

出典
史記』酈生(れきせい)陸賈(りくか)列伝の「一歲中往來過他客、率不過再三過、數見不鮮、無久慁公為也」より。
酈生陸賈列伝は、智謀と弁舌に長け、劉邦の部下として功績のあった酈食其と陸賈の伝記。この出典は陸賈の伝記部分にある。
劉邦を助けて漢帝国の基礎を築いた陸賈は、劉邦の死後、呂后が政権を握るようになると難を避けて隠居する。かつて南越で手に入れた千金を五人の息子に分け与えてそれぞれ自立させ、自分はいつも四頭立ての馬車に乗り、十人の楽人を従え、百金の宝剣を携え、そして息子たちに言う。「與汝約、過汝、汝給吾人馬酒食、極欲、十日而更。所死家、得寶劍車騎侍從者。一歲中往來過他客、率不過再三過、數見不鮮、無久慁公為也。」(約束だ。わしがお前の所に立ち寄ったら、お前はわしの一行に酒食を出し、十分満足させてくれ。十日したら場所を変える。どこかの家でわしが死んだら、宝剣も車馬も従者もそいつにやる。一年のうち行き来してよその客にもなり、わしが立ち寄るのは二、三回もないだろう。慣れた客でご馳走もいらないから、わしが迷惑になることもないだろう。)
「慁 hùn」という見慣れない文字が出てきたり、この部分は私にはかなり読みにくいのだが、下のような現代中国語訳も参考に訳してみた。肝心の「數見不鮮」の部分は、「不鮮」が新たに家畜を屠ってもてなすことはしない、と伝統的に解釈されているのでそのように訳す。

“他曾这样对儿子们说:“我和你们约定好,当我出游经过你们家时,要让我的人马吃饱喝足,尽量满足大家的要求。每十天换一家。我在谁家去世,就把宝剑车骑以及侍从人员都归谁所有。我还要到其他的朋友那里去,所以一年当中我到你们各家去大概不过两三次,总来见你们,就不新鲜了,用不着总厌烦你们老子这么做了。”

http://ewenyan.com/articles/shiji/70/37.html

陸賈は乱世に政治家として権力の荒波にもまれながら、巧みに泳ぎきって天寿を全うした人物である。伝記で並列されている酈食其の方は、斉王の怒りを買って釜茹でにされている。危ういと見るとすばやく身を引き、しかも鬱屈することなく蓄積した財産と人脈で悠々自適の生活を送る、というこのエピソードも、陸賈のそういった処世の巧みさ、身の振り方の鮮やかさの象徴と言えるかもしれない。

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