滥竽充数
滥竽充数 [ làn yú chōng shù ]
能力がないのに、能力のある人々に混じって能力があるかのように振る舞うこと。本来そこにいるべきではない者が紛れ込んでいること。
謙遜として使われることもある。
出典
『韓非子』內儲説上より。
(原文)
齊宣王使人吹竽、必三百人。南郭處士請為王吹竽、宣王說之、廩食以數百人。宣王死、湣王立、好一一聽之、處士逃。
(訳)
斉の宣王は竽(う)を吹かせる時、必ず三百人で合奏させた。南郭処士は王に竽を吹かせてくださいと申し出、宣王はそれを喜んで、数百人分の穀物を報酬として与えた。宣王が死に、湣王(びんおう)が即位すると、湣王は一人一人の演奏を聴くことを好んだ。南郭処士は逃げ出した。
(注)
宣王 xuān wáng (? - 前301年) 戦国時代の斉の第五代君主(在位:前319年-前301年)。姓は媯、氏は田、名は辟彊。国力の強化につとめて斉の盛時を担った君主とされる。各地から学者を集めて優遇し、「稷下の学」と呼ばれる学術の隆盛を築いたことでも知られる。
竽 yú 古代の楽器の一種。一つの吹き口に多数の竹笛を組み合わせて幅広い音を出せるようにしたもの。後の笙に似る。
竽 写真は馬王堆遺跡から出土した漢代の副葬品。湖南省博物館蔵。
http://www.shuhuawei.com/index.php?m=content&c=index&a=show&catid=21&id=321
處士 chǔ shì 学問を積みながらも出仕していない男性。処士の「処」は三声で、家に処る(おる)という意味。ちなみに「処女」も同様で、まだ嫁がずに家に処る女性ということ。
說 yuè ここは「悅」に通じる。よろこぶ。読み方もyuè。
廩食 lǐn shí ここでは、国家が俸給として与える食糧。
湣王 mǐn wáng(前323年-前284年) 斉の第六代君主(在位:前301年-前284年)。姓は媯、氏は田、名は地。宣王の子。宣王の後を継いで即位した。秦や楚と戦って破り、宋を併合するなどして領土の拡大と天子の座を狙ったが、楽毅の率いる五国連合に攻め込まれ、逃亡の末殺害された。