「中国語」とか、「漢文」とか

日々の学習、ときどき雑談

好吃不过饺子

好吃不过饺子[ hǎo chī bù guò jiǎo zi ]

餃子ほどうまいものはない。
中国の民間で言い伝えられている言葉。意味は見た通り。

中国、特に北方地域での餃子への愛着は強烈なものがあるようで、とにかく何か祝い事があれば餃子、冬至には餃子、立冬にも餃子、入伏にも餃子、春節にはもちろん餃子、と節句の度に「餃子を食べる日だ!」と宣伝されている印象。もちろん現代では餃子屋の販促という面もあるのだろうが、ネイティブの先生が授業で話していたことは説得力があった。いわく、要するに昔は(特に東北の方は)食べ物の種類が乏しく、他にご馳走がなかったから。全体に選択肢が乏しかった中での「好吃不过饺子」なのだ。その証拠に、今は春節のご馳走というと他に多彩な料理が並び、そこまで餃子が主役になることもないという。やはり「欠かせない」ものではあるらしいが。
その上で先生が言っていた、中国人だからといって餃子が好きとは限らない、嫌いな人もいるし、もちろんみんな作れるとも限らない、というのも大事なこと。こういう「民族文化を代表する食べ物」は「○○人ならみんな好きだろう」と決めつけられやすいし、さらには「△△が食えない(作れない)とはそれでも○○人か!」のような嫌がらせめいたもの(これは同民族集団内で起こりがち)にまで発展したりする。知り合いの在日朝鮮人で、「僕キムチ嫌いなんだよね。朝鮮人はみんなキムチ食えると思わないでほしい」という人がいたが、そういうことだ。

「好吃不过饺子」に戻ると、これには対になる下の句があるという話がある。
いわく、

好玩不过嫂子[ hǎo wán bù guò sǎo zi ]

「好玩」は面白い、楽しい。「嫂子」は辞書の意味を引けば、「是一种称呼,指哥哥的妻子。嫂子也是年岁不大的已婚妇女的泛称」(呼称の一種で、兄の妻を指す。また年齢が高くない既婚女性を広く呼ぶ)。
直訳すれば、「兄嫁(若い人妻)ほど楽しいものはない」。まあそういうことで、エロネタ系の俗語である。「饺子」と「嫂子」できっちり韻を踏んでいる。こういう対句は韻を踏むのが基本。

他に、エロではない下の句のバージョンもあるようで、

舒服不过倒着[ shū fu bù guò dǎo zhe ]

「倒着」は「躺着」となることもあるようで、要は寝ころがること。日本語にも「寝るほど楽なことはなし」という言い方があるが、そういう意味になる。これも「dǎo zhe」でだいたい韻を踏んでいる。

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写真は今日の昼ご飯にした冷凍餃子。買ってきて茹でるだけで食べられる。中国では「饺子」といえばこういう茹で餃子で、日本で「餃子」と呼ばれている焼き餃子は「煎饺 jiān jiǎo」や「锅贴 guō tiē」といわれる。また、中国では餃子は主食(小麦粉でできた皮)を含む食べ物で、日本でこれに米の飯を合わせるのは非常に違和感がある、というのもよく話題にされる。うどんをおかずに飯、くらいの感じなのだろう。
とはいえ、日本の餃子文化もすでに長い歴史があり、もはや中国とは別の「そういう日本の料理」として見ていけばいいとも思う。私としては、格安の冷凍食品でも確実においしい「水饺」、茹で餃子が好きなので、日本でももっと流行ってほしいとは思うが。

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