「中国語」とか、「漢文」とか

日々の学習、ときどき雑談

内モンゴル自治区での言語政策、続報

前に触れたこの話(https://anatadehanai.hatenablog.com/entry/2020/09/04/235619)の続報。

アイデンティティーの一掃」 内モンゴル抗議もむなしく進む中国語教育【AFP】2020年11月22日
https://www.afpbb.com/articles/-/3306212?cx_amp=all&act=all

"中国北部に広がる内モンゴル自治区での8月末からの抗議デモやボイコットには数万人が参加し、地元当局が発表した標準中国語で教育を行うというカリキュラムの変更に反対を訴えた。

 同自治区での抗議デモはまれだ。しかしそのデモは、同国が過去数十年で経験したなかでは最大規模となった。

 抗議の後、政府による取り締まりが始まった。装甲車両がデモの拠点となった通遼市内に展開し、複数の学校を包囲した。"

"8月には、中国で利用できた唯一のモンゴル語SNSアプリ「Bainuu」が当局によって使用が禁じられた。

 11月になってもそのアプリは使用できない状態だ。オンライン上のやりとりは警察によって監視され、大多数の子どもたちは学校に戻された。"


私の感想はやはり前の繰り返しになる。多民族国家の理念を掲げ、少数民族地域ではバイリンガル教育を成功させてきた中国政府が自らその価値を否定するかのような行動をとっているのは非常に残念だ、と。
もちろん効率的に統治したい側としては国内の多民族性はできれば消滅させたい厄介なものなのだろう。しかしそれが本音だったとしても、建前としては各民族の尊重と平等を謳ってきたのが多民族国家中華人民共和国だったはずだ。
この件が話題になり始めた時、微博で検索してモンゴル族の人々の声と思われる投稿をいくつも目にした。(ほとんど削除されているので、検索結果でしか見られないのだが。)その中にこういうものがあった。

f:id:anatadehanai:20201122195639j:plain
(赤字になっている部分は私が指定した検索語で、原文は赤字ではない。)

"私はモンゴル族です。私は私の民族を愛し、また私の国も愛しています。私はただ、政治の教科書に書いてあった「平等、団結、互助、調和の社会主義的民族関係」が嘘であってほしくないのです。
漢族の皆さんには理解しにくいかもしれませんが、考えてみてください。もし国語以外のすべての科目を英語で教えるということになったら、賛成できますか。できない、と皆さんは答えると思います。私の答えもそうです。"

こういう語り方の発言は他にもたくさん見かけた。自分は国を愛していると強調した上で、民族文化を尊重することが国の理念ではなかったのか、と問いかけるようなものだ。もちろん微博上で漢語で発言する以上はそういう書き方にならざるをえないこともあるだろうし、どこまでが書き手の真意かはわからない。しかしこういう問いかけが説得力をもつような振る舞いを今の中国政府は確かにしている。(そしてそういう声も含めて目に触れにくいようにせっせと削除している。)
「五十六个民族,五十六朵花」(五十六の民族は、五十六輪の花)と歌い、歌わせてきた自らの言葉に反することを今の中国政府はしてしまっているのだ。まあ今に始まったことでもないのだけれど。

しかしこれも繰り返しになるが、この件で「中国はひどい」と他人事のように論評している日本人は自国の足元の問題がどれだけ目に入っているのだろうか。こういう他民族同化政策は近代の日本がアイヌモシリで、沖縄で、植民地化した台湾や朝鮮でさんざんやってきたことなのだが。「方言札」のような歴史をもし知らないとしたら、それを知らずにいることができた自分の立場と受けてきた教育の偏りを自覚すべきだろう。

方言札
https://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/sumai/hogen/index.html

"明治時代に政府が標準語の使用を推進した結果、沖縄の学校で「しまくとぅば」の使用を禁止していました。

沖縄の学校では「しまくとぅば」を使用した子どもは「方言札」をぶら下げるという罰があったとか……。

方言札は、他の人が「しまくとぅば」を話してしまうまでぶら下げ続けるという厳しいものです。明治政府は罰を用意してまで沖縄方言(しまくとぅば)を排除しようとしました。"
https://okinawa-now.com/20200617-2/

最近話題になったこの記事もぜひ一読を。私は筆者の主張すべてに同意できるわけではないが、言語学の専門家として、また少数言語の継承に(継承できなかったという立場で)関わった当事者としての重要な意見だと思う。

言語が減ることって問題ですか?への私の答え(下地理則(九州大学人文科学研究院准教授))
https://note.com/lingfieldwork/n/nefd96c0b8e71


そして現在の日本は相変わらず単一民族幻想に固執し、文科省は日本語以外を主要言語として学校教育を行うことを認めていない。(中国の民族学校は民族語を主として教育を行ってきた。現在のモンゴル族学校の例はその否定なので反発が起きているのだ。)だから朝鮮学校のように日本語以外で教育を行おうとする学校は、その点だけでも日本の「学習指導要領」に沿わないと判断され、「一条校」の資格を得られず、国からは補助を受けられない。歴史のみならず現状を比較しても、日本の民族同化政策は中国より苛烈だと言えるだろう。なにしろ他民族の存在すら認めようとしないのだから。
こういう問題ももし知らなかったとしたら、なぜ知らずにいることができたのか、知ろうと思えなかったのかを考えてみるべきだと思う。中国に比べて露骨な情報統制の少ない日本では、「知れるのに知らなかった」個人の責任はより重い。
中国政府の政策に疑問を感じたなら、その視線を日本政府の民族政策にもきちんと向けてほしい。ある国家の中で多数派の利害に基づく権力が少数派を圧迫するという問題は、国家の体制に関係なく起きる。批判すべきは少数派に対する国家の暴力そのものであって、どこか一つの国家だけではない。こういうニュースを中国叩きの種のようにしか考えず、日本の問題を振り返らないままあれこれ論評する日本の「愛国者」に私はいつもうんざりしている。