「中国語」とか、「漢文」とか

日々の学習、ときどき雑談

秋夕(杜牧)

日付が変わらないうちに、七夕の有名な詩をもう一つ。中国で七夕に関する古典といえば真っ先に挙がる作品の一つだろう。晩唐の詩人杜牧の「秋夕」。

銀燭秋光冷畫屏,輕羅小扇撲流螢。
天階夜色涼如水,臥看牽牛織女星

yín zhú qiū guāng lěng huà píng ,qīng luó xiǎo shàn pū liú yíng 。
tiān jiē yè sè liáng rú shuǐ ,wò kàn qiān niú zhī nǚ xīng 。

銀の蠟燭が宿す秋の光は冷ややかに華やかな屏風を照らし、薄絹の小さな団扇が流れ寄る蛍を払う。
宮廷のきざはしに夜色は水のように涼しく、宮女は横たわって牽牛織女の星を見上げる。

注釈などは下記ページを参照。
https://fanti.dugushici.com/ancient_proses/27542

この詩は七夕の美しい情景を切り取ったものであると同時に、閨怨詩や宮怨詩と呼ばれるジャンルの詩でもある。閨怨詩とは何らかの事情で夫と離れたり、夫の愛情を失ったりした女性がその「怨」を歌うもの、宮怨詩はその中でも皇帝の寵愛を失った宮女の「怨」を歌うものだ。しかし昔の中国で詩など書いていた(歌っていた、ならもっと幅広くなるのだが)のはほとんどが男性で、しかも役人やその志望者だったから、現在残っている作品もほとんどがそういう作者の手によるものになる。杜牧のこの作品ももちろん例外ではなく、自分の経験でもなく実際に見ているわけでもない「宮女が星を眺めて孤独を嘆く場面」を妄想で美しく描いていることになる。
いろいろ屈折していると思うが、とにかく中国の古典にはそういうジャンルがあり、大量の作品が作られた。しかし考えてみれば今でも自分とは全く違う立場の主人公をあれこれ妄想して作られる作品は多く、耽美や幻想を追求するならむしろリアリティなど邪魔、という面もあるのだろう。この詩もおそらくは幻想であるがゆえに、濁りのない美しさを短い表現の中で実現し得ている。