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日々の学習、ときどき雑談

元日(王安石)

(原文)
元日

爆竹聲中一歲除、春風送暖入屠蘇。
千門萬戶曈曈日、總把新桃換舊符。

(拼音)
yuán rì

bào zhú shēng zhōng yī suì chú,chūn fēng sòng nuǎn rù tú sū。
qiān mén wàn hù tóng tóng rì,zǒng bǎ xīn táo huàn jiù fú。

(注)
爆竹  竹を焼いて爆発音を立て、悪鬼や邪気を追い払うという風習。後に火薬を使った「鞭炮」となり、現在まで続いている。
除  過ぎ去る。
屠蘇  屠蘇酒のこと。正月に薬草を浸した屠蘇酒を飲むと疫病を免れるとされた。
曈曈  日が明るく暖かに昇る様子。
把新桃換舊符  古い桃符を新しいものに換える。桃符とは邪気を払う力があるとされた桃の木の板に神荼(しんと)・鬱塁(うつるい)という二人の門神の名前や姿を刻んだもので、これを門の両側に掛けると疫病などの災いを避けられるとされた。

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日本語の解説↓
https://kotobank.jp/word/%E6%A1%83%E7%AC%A6-581265

(訳)
爆竹の鳴る音のうちに一年は過ぎ去り、春風が暖かさを屠蘇の酒に吹き込む。ひしめく家々にあかあかと日は昇り、どの家の桃符も新しくなっている。


王安石(1021年-1086年)は宋代の重要な政治家であり、思想家、文学者としても知られる。字は介甫、号は半山。荆国公に封ぜられたため王荆公と呼ばれ、また「文」と谥(おくりな)されたため王文公とも呼ばれる。
王安石北宋財政再建、軍事改革等をめざした変法運動で知られる。王安石は以前から自身の改革案を皇帝に上書していたが採用されなかった。しかし1067年に神宗が即位すると、神宗は改革に関心を示し、1069年(熙寧二年)にはついに王安石を参知政事(行政官の最高責任者)に任命して、いわゆる王安石の変法(熙寧の変法)が始まった。
この「元日」の詩はその1069年新春の作で、新年の喜びとともに王安石の政治家としての躍進、改革への意欲が込められていると言われる。
しかし王安石の変法は既得権益層である保守派の反対に遭い、また庶民の負担を増して反発を招くこともあったため数年で挫折し、王安石は1076年に辞職して政権から去ることになった。


(参考)
https://fanti.dugushici.com/ancient_proses/68479
「変法」について。日本では「王安石の新法」の用語が一般的。↓
https://www.y-history.net/appendix/wh0303-042.html

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