对牛弹琴
对牛弹琴 [duì niú tán qín]
(牛に向かって琴を弾くように)手ごたえがないこと。相手に理解する能力がなく、話が通じないこと。馬の耳に念仏。豚に真珠。
出典
『弘明集』所収の牟融『理惑論』より。
(原文)
公明儀為牛彈清角之操,伏食如故。非牛不聞,不合其耳矣。轉為蚊虻之聲、孤犢之鳴,即掉尾奮耳,蹀躞而聽。
(注)
公明儀 生没年不詳。春秋時代の魯の賢人で、音楽に優れていたとされる。
清角之操 清角は曲名。操は琴の曲を指す。「清角」という琴曲。
如故 故(もと)の如し。それまで通り。相変わらず。
犢 子牛。
蹀躞 dié xiè 小刻みに歩き回る様子。
(訳)
公明儀は牛のために清角の曲を琴で弾いて聴かせたが、牛は相変わらず草を食んでいた。牛は聞いていないのではなく、曲がその耳に合わなかったのだ。そこで蚊や虻の羽音、はぐれた子牛の鳴き声に変えてみたところ、尾を振り耳をそばだて、うろうろと歩き回って聴きはじめた。
『弘明集』は南朝梁の時代に僧祐(445-518)が編纂した仏教論文集。この部分はその中に引用されて伝わる漢の牟融『理惑論』の一節。
仏教に通じていた牟融(?-79年)が、なぜ仏教の思想を解説するのに儒家の文献を使うのか、と問われて答えている。相手が儒家思想になじんでいる場合には儒家の文献を使った方が伝わる、説明は相手に合わせるべきだ、という喩えとして挙げられているのが、この公明儀と牛の話。
用例
跟这种人讲道理,就好像对牛弹琴,别再浪费口舌了。
こういう人に道理を説くのは豚に真珠のようなもの、話しても無駄だからやめろ。
我白花了一下午时间跟他谈电影艺术,简直是对牛弹琴。
私は午後いっぱいかけて彼に映画芸術の話をしたが、全く通じなかった。