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日々の学習、ときどき雑談

「柴米油盐酱醋茶」の対義語

昨日紹介した「柴米油盐酱醋茶」は日常に不可欠な、所帯じみたものの代名詞ということだったが、これにまたその対義語ともいうべき表現がある。

琴棋书画诗酒花 qín qí shū huà shī jiǔ huā

である。琴、棋(主に日本語の「碁」に相当。また一般に盤上の遊戯)、書(文字を書くこと、また文字で書かれたもの)、絵画、詩、酒、花。
「柴米油盐酱醋茶」が生活を象徴するのに対し、こちらは文化の象徴。不要不急ではあっても人生を豊かにする学びや遊びの部分を指している。「琴棋书画」といえば伝統的に文人の身につけるべき素養を指す成語でもある。

これを題にした青木正児の著作『琴棊書画』(東洋文庫)もあった。
https://www.amazon.co.jp/%E7%90%B4%E6%A3%8A%E6%9B%B8%E7%94%BB-%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%9D%92%E6%9C%A8-%E6%AD%A3%E5%85%90/dp/4582805205

この「琴棋书画诗酒花」と「柴米油盐酱醋茶」の対比の出所として、よく次の詩が挙げられている。清朝康熙時代の査為仁の著『蓮坡詩話』に、湖南湘潭の人張灿の作として記載された詩とのこと。

琴棋書畫詩酒花
当年件件不離它
而今事事都変更
柴米油塩醤醋茶

昔は「琴棋书画诗酒花」を常に身近に置いていたが、今では事情が変わってしまい、「柴米油盐酱醋茶」の心配に追われている、という内容。
不遇な文人のぼやきのような詩だ。

「柴米油盐酱醋茶」を使った詩は他にもいろいろと有名なものがあるようで、この明代の唐寅による『除夕口占』もよく紹介されている。
除夕」は正月前の大晦日、「口占」は口ずさむように即興で作った詩ということ。

柴米油鹽醬醋茶
般般都在别人家
歳暮清閑無一事
竹堂寺里看梅花

「柴米油盐酱醋茶」はどれもこれもよその家にある。この年の暮れ、家は空っぽですることもない私は、竹堂寺に咲く梅の花など眺めている。

これも貧乏文人が年末の世間の賑わいを横目に見つつ、ぼやきのような意地のような感慨を述べているもの。
旧暦では今ちょうど年末にさしかかり、中国では正月用品(「年货 nián huò」という)の買い出しなどで街が熱気を増している。そういう雰囲気を感じながら読むと味わいがある。

しかし思うに、こういう世間からちょっと外れて独自の楽しみを見つけ、そういう自分を客観視しつつ自尊心を保てる技術こそ「文化」ではないだろうか。文化は直接は食えないが、こうして間接的に人を支え、目立たずに救っていることがよくあるのだ。

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