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日々の学習、ときどき雑談

东山再起

东山再起 [dōng shān zài qǐ]

再起する。失敗の後やり直して成功する。巻き返す。

出典
東晋の謝安が若い頃は官職を嫌って東山に隠棲していたが、四十歳を過ぎて仕官し、その後大いに治績を上げたという故事から。

劉義慶『世說新語』排調篇に以下の記述がある。『晋書』謝安伝にも同様の記述あり。

(原文)
謝公在東山,朝命屢降而不動。後出為桓宣武司馬,將發新亭,朝士咸出瞻送。高靈時為中丞,亦往相祖。先時,多少飲酒,因倚如醉,戲曰:「卿屢違朝旨,高臥東山,諸人每相與言:『安石不肯出,將如蒼生何?』今亦蒼生將如卿何?」謝笑而不答。

(訳)
謝安は東山に隠棲し、朝廷が何度も降りて来いと命じても動かなかった。その後桓温の司馬となって山から出ることになり、新亭を発つという時には士人たちが総出で見送った。高霊はその時中丞だったが、やはり行って送別をした。高霊はしこたま酒を飲み、酔いに乗じて謝安をからかって言った。「君は何度も朝廷の命令に背き、東山に隠居して、人々は『安石が出て来ない、民をどうするつもりか』と言い合ったものだが、今度は民が君をどうするつもりだろう?」謝安は笑って答えなかった。

(注)
謝公 謝安(320-385)、字は安石。若い時から名声があったが官職を避けて東山に隠棲していた。その後四十歳を過ぎて
桓温の部下の司馬となり、淝水の戦い等に功績を上げた。後に桓温とは離れ、中央官僚として桓温の勢力を牽制した。東晋の安定に貢献したことから一族は名家となり、死後は太傅の官を追贈された。
東山 山名。現在の浙江省上虞県にある。
桓宣武 桓温(312-373)。字は元子。蜀や前秦との戦いに功績を上げ、大司馬となって東晋の軍事を司った。朝廷内で大きな権威を持つに至り、簡文帝を擁立して政権簒奪を図ったが、野心を遂げず病により死去した。
新亭 東晋期、現在の南京市南部に作られ、士人の歓迎や送別、宴会に使われたとされる施設。またその付近の地名。
高靈 高崧。生卒年不詳。字は茂琰、霊ともいう。東晋の官人として吏部郎、侍中を務めた。
中丞 官名。御史台の長官。
祖 古代に道の神を祀って安全を祈る儀式を「祖」と呼んだことから、送別、はなむけをすること。
蒼生 生あるもの。また、民衆、庶民。

用例
这位政治家自从5年前失败后,现在又东山再起了。
この政治家は5年前の失敗から今また再起を遂げた。

今天这样安排,就是为了等待时机,以便东山再起。
今日このようにするのは機を待ち再起を図るためだ。

失败了,只要不灰心丧气,一切从头开始,重整旗鼓,就有东山再起的希望。
失敗しても、意気喪失せず、最初からやり直して体勢を整えれば、また成功の希望がある。

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