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日々の学習、ときどき雑談

指鹿为马

指鹿为马 [ zhǐ lù wéi mǎ ]

鹿を指して馬とする。事実を無視した主張をすること。故意に事実をねじ曲げようとすること。

出典
秦の二世皇帝胡亥(こがい hú hài)の時、権力奪取を狙っていた丞相の趙高がわざと鹿を馬だと言い、他の家臣たちにも同意を求めた話に基づく。
この話は同時代の陸賈(りくか lù jiǎ)による『新語』弁惑に見られ、後に『史記』秦始皇本紀にも収録されている。
ただし、『新語』では趙高が鹿に乗っていたとし、『史記』では鹿を献上したとしているのが多少異なる。

《新語・辨惑》
(原文)
至如秦二世之時,趙高駕鹿而從行,王曰:「丞相何為駕鹿?」高曰:「馬也。」王曰:「丞相誤也,以鹿為馬。」高曰:「陛下以臣言不然,願問群臣。」,臣半言鹿,半言馬。當此之時,秦王不能自信其自,而從邪臣之說,夫馬鹿之異形,眾人所知也,然不能兮別是非也,況於闇昧之事乎?
https://ctext.org/xinyu/bianhuo/zh

不能兮别」の「兮」は「分」の誤りだろう。

(訳)
秦の二世の時、趙高は鹿に乗って王のお供をした。王が「丞相はどうして鹿に乗っているのか」と言うと、趙高は「馬です」と言った。王が「丞相の間違いだ。鹿を馬だとは」と言うと、趙高は「陛下がわたくしの言葉を違うとお思いでしたら、どうぞ家臣たちにお尋ねください」と言った。(尋ねられた)家臣たちは半分は鹿だと言い、半分は馬だと言った。この時、秦王は自分を信じることができず、邪臣の言うことに従ってしまったのだ。馬と鹿の形が違うというのは誰もが知っていることだ。それでも正しいかどうか分別できなくなってしまう。ましてや曖昧な事柄ではどうなることか。

史記・秦始皇本紀》
(原文)
八月己亥,趙高欲為亂,恐群臣不聽,乃先設驗,持鹿獻於二世,曰:「馬也。」二世笑曰:「丞相誤邪?謂鹿為馬。」問左右,左右或默,或言馬以阿順趙高。或言鹿(者),高因陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高。
https://ctext.org/shiji/qin-shi-huang-ben-ji/zh

(訳)
八月己亥の日、趙高は乱を起こそうとしたが、家臣たちに阻止されるのが不安だった。そこでまずかれらを試してみることにし、鹿を二世に献上して、「馬です」と言った。二世は笑って「丞相の間違いでは? 鹿を馬と言うとは」と言った。左右の家臣に尋ねると、ある者は黙り、ある者は馬だと言って趙高に追従した。ある者は鹿だと言ったが、趙高はひそかに口実をつくってこの鹿だと言った者たちを罰した。それ以降家臣たちはみな趙高を畏れるようになった。

用例
没有自由辩论的平台,真假、善恶、美丑就将没法辨别。指鹿为马、颠倒黑白就是必然的结果。 ​​​(自由な弁論の場がなければ、真偽、善悪、美醜は判別できなくなる。鹿を馬と言い白黒を逆にするような状況は必然の結果だ。)
也许不能遮天蔽日,也许不能指鹿为马,我只希望能够未雨绸缪,真抓实干!(天を遮るような影響力は持てなくても、鹿を馬にするような権力は持てなくても、ただ普段から将来に備え、現実的な努力を続けていければいい!)

この二つ目の例文、微博から拾ってきた一ネット民の投稿だが、中国で成語がどのくらいよく使われるかという実例として見てほしい。この文字数の中に四つ。ともすると成語を並べるだけで一文ができてしまうくらい中国の成語は数量も意味も豊富で、実際にそういう成語だらけの表現はこのようによく見られる。私が成語の語彙増強に努めているのも、成語を知らないと読み取れない、聞き取れない文章が日常レベルで山ほどあるからだ。日本語のことわざや四字熟語の比ではなく、高度な修辞というより不可欠な基礎語彙として覚えていく必要がある。

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