「中国語」とか、「漢文」とか

日々の学習、ときどき雑談

谈恋爱

谈恋爱 [ tán liàn ài ]

恋愛する。つきあう。いちゃつく。仲睦まじくしている。

動詞は「谈」だが、恋愛について語るとか話すとかいう意味ではなく、恋愛「する」という意味なので注意。これはもう非常に固定した表現で、他の動詞が使われているのはほとんど聞かない。
さらに、「谈女朋友」(彼女とつきあう)「谈男朋友」(彼氏とつきあう)というように、つきあう相手を目的語にした言い方もできる。

日本語に訳すなら、「恋愛する」や「つきあう」になる場合が多いと思うが、「いちゃつく」という訳を挙げておいたのは、この「谈恋爱」が日本語の「恋愛する」とはちょっと違う使われ方をしている例をよく見るから。
たとえば、

一对情侣坐在公园的长椅上谈恋爱。(一組のカップルが公園のベンチで仲よさそうにしている。)
有些学生在图书馆里谈恋爱。(図書館で恋人といちゃついている学生もいる。)

日本語では、こういう場合に「恋愛する」や「つきあう」という言い方はしない。こうして比較してみて逆に初めて気づくが、日本語の「恋愛する」や「つきあう」はどちらかというと心理的な状態や習慣を表す言葉で、目に見える動作などには使わないのだ。
たとえば日本語で、

教室の隅で恋愛していた

というような表現はかなり不自然で、強いて解釈すれば、授業を聞きながらひそかに片思いでもしていたのか、という感じになる。
しかし、中国語で

在教室的角落谈恋爱

といえば、これはちゃんと相手がいて、何か恋人らしい振る舞いをしている(いちゃついている)、という普通にありそうな状況になる。

しかし、こういう「恋人らしい振る舞いをしている」ということを示す日本語のよい表現が見当たらないのは困る。「いちゃつく」はいきなり俗語的になる上に、やや貶めたり非難したりする語感があってニュートラルとは言いがたい。「仲睦まじくしている」というのを無理矢理思いついたが、これもどうだかなあ。気取った文章なら、「愛を語らう」というような言い回しもできるだろうが。ひとまずこういう動作としての「谈恋爱」に出くわして訳す時には、そのつど前後の雰囲気にあった訳語を工夫するしかないだろう。

私が今いる大学でも、コロナで閉鎖される前は学生食堂や寮の近くで「谈恋爱」している学生たちをよく見かけた。ぎゅっと身を寄せ合って座っていたり、道端の少し暗いところでキスしていたり。人前で「谈恋爱」することへの抵抗は日本よりも少なそうに見える。というか、日常的に手をつないだり抱き合ったりすることについては、日本が世界的にも珍しいほど抵抗の強い社会なのだと思う。これはいいとか悪いとかいうことはなく単なる習慣の違いだが、比べてみるとやはり違うなと実感する。

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