「中国語」とか、「漢文」とか

日々の学習、ときどき雑談

中国のコロナ対策を支える人力

中国でもまた少しコロナの発生が出てきたけれど、全体としては非常に少ないレベルに抑えていると言える。私のいる地域でも患者0の状態が続いていて、大学は普通に授業をしているし、街はコロナの存在をほぼ感じさせない。校外に出る時にはスマホでコードを読んで記録するとか、マスクをつけろとか言われてはいるが、かなり緩くなっていて形だけやっている感じである。マスクはもうしていない人の方が多い。
数日前には年越しということで同学に誘われ、一緒に火鍋を食べて映画を見た。火鍋屋は家族連れを中心にグループ客で賑わい、客は当然マスクは外したまま一緒に鍋をつついて大声で喋りあっている。映画館もほぼ満席で100人を越える人がぎっしり密集しながら、映画を見て笑ったり泣いたりしていた。これは今の日本では、ちょっと気安くできることではないだろう。

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そういう意味で中国のコロナ流行対策はやはり成功していると思うのだが、それを他の国で簡単に真似られるのかというと、そもそも社会のシステムや人的資源の量が違いすぎて無理だろうとこの記事を見て改めて思った。これは昨年3月時点の記事だが、そのあたりを具体的に説明してくれている。中国といえば監視カメラやスマホでの追跡がよく話題になるが、その管理体制を末端で支えているのはやはり大量の組織された人力なのだという話。

徹底的な隔離はなぜ実行できたのか
~中国の「大衆を動かす仕組み」の底力
https://wisdom.nec.com/ja/series/tanaka/2020032601/index.html

"ではこの人たちは何をやっているのか。それは「社区」において、住民に対して党の意図や政策の狙いを説明し、理解を得る任務を持っているのである。国民15人あたりに1人が党員だとすれば、単純な話、1人の党員が15人の人を説得すれば、党の政策は全国民に浸透することになる。それができれば国は動く。"

まあ私としては、ここまでしなくていいけれども、社会の基礎的な業務を担う人に国がきちんと金を出すことの重要性は日本でも再認識すべきなのではないかと思う。私から見ると今回のコロナ問題から日本が汲むべき最大の教訓は、公務員を減らしてはいけない、保健所のような機関にきちんと予算をつけて人を雇え、といったところ。
ただしもちろん、コロナ対策のようなものがきめ細かく行き届く社会というのは裏を返せば個人への監視、管理が強い社会ということでもある。安全も自由もどちらも追求したいという場合は結局、相反する両者の間でバランスを探り続けるしかない。