「中国語」とか、「漢文」とか

日々の学習、ときどき雑談

アムネスティの署名に賛同しました

こちらのアムネスティの署名に賛同しました。

"内モンゴルの中国語教育強化 抗議して逮捕された人たちを釈放して!"
https://www.amnesty.or.jp/get-involved/action/cn_202011.html

内モンゴルであれ香港であれ、中国内の人権問題に関心を持ち何かしたいと思うのなら、まずこのアムネスティなどを通して情報収集し、意思表示するのがいいのではないかと私は思います。
アムネスティは国際的な人権団体で、特定の国の立場からではなく世界各地の人権問題に取り組んでいます。中国の不当逮捕アメリカの不当逮捕も同じく人権問題として扱います。もちろんアムネスティの活動にもいろいろと批判できる余地はあると思いますが、このような「国家対国家」ではなく「国家対民衆」というスタンスを持ち、かつある程度の規模と発言力を持っている団体として私は存在意義を認めています。

私は特に、人権団体の間でも議論のある「セックスワークの非犯罪化」について、アムネスティが妥当な(と私には思える)判断を下したことを評価しています。重要な局面でこういう指針を示すことができる団体、というのが信頼の一つの根拠になっています。

【Q&A】セックスワーカーの人権を擁護する方針に関して
https://www.amnesty.or.jp/news/2016/0526_6062.html


逆にやるべきではないと思うのは、「中国はひどい」「恐ろしい国だ」といったことを日本語で安易に言ったり書いたりし、日本国内の反中感情や中国人差別を煽ること。
周知のように、日本では以前から中国や韓国など周辺アジア諸国とその出身者に対する差別が蔓延しています。差別を煽っているのではない、政府を批判しているのだ、と言うかもしれませんが、それならそのことを過剰なほどに強調しながらでないと、今の日本社会の風潮の中では、中国政府批判は容易に中国全体への嫌悪、さらには個々の中国人への蔑視や敵視につながります。
政府批判が差別言説に一体化してしまうと、そのような言葉はますますマジョリティの中国人に届かず、中国内部から批判的な世論が生まれる可能性も遠ざけます。立場を変えて考えてみるといいと思いますが、たとえば自分が日本政府の政策に批判を持っていたとしても、それを批判する外国の言説が「これだから日本はいやだ」「恐ろしい独裁国家だ」「こんな政府を支持している日本人どもの気がしれない」等々の粗雑な悪口にまみれていたらどう感じるか。政策への批判というところは一致しても、両手を挙げて同調することはかえって難しくなるのではないでしょうか。そういうところにまで想像力の及ばない外国人の放言は、中国の人権問題解決に対しても結局有害無益です。
特に日本という国は、こと人権問題に関して中国に大きな借りのある立場です。アジアの隣国でありながら欧米列強の尻馬に乗って大陸侵略に加わり、現在の中国内にあたる地域で殺人や収奪、強制労働などの人権侵害を厖大に行った過去を持ちます。しかもそのことを正当化するような発言を政治家などが繰り返し、どこまで本当に反省しているのかという不信を買っています。こういう国が人権問題について偉そうに口を出したところで、嘲笑にあうか反発を受けるかでしょう。
このあたりを考えても、「日本人」の立場を表に立てて中国の人権問題に口を出すことが有効とは全く思えません。批判の声を上げたければアムネスティなど第三者的な組織を通じてすること、そしてその批判が説得力をもつように、同時に日本の人権侵害もきちんと批判していくこと、こういう態度が必要ではないかと思っています。